自分の文章
自分の文章を読み返してみると
いわゆる「かまってちゃん」「察してちゃん」な人物像に見える。
そうなのだろうか?
わからない。全然わからない。
友達とは
「友達」というワードについて考えてみる。
友達=一緒に遊んだり、ご飯食べたりする人。
それならいた。
友達=悩みを相談できる人。困ったとき助け合う人。
ならいない。
もう少し掘り下げてみる。
困った時=ライトなもの、例えば教科書忘れたとか仕事でミスった(簡単にリカバリー効くもの)とか。
ならいた。
困った時=ヘビーなもの、例えば借金の返済が滞って追い込まれているとかイジメられているとか仕事でミスった(簡単にリカバリーの効かないもの)とか。
ならいない。
極端すぎるかもしれないが。
悩みも種類があって、あまりにもパーソナルなことや話すことによって自分の弱さ、不甲斐なさなんかを曝け出す必要がある悩み。
これは絶対に言えない。
自分は文字通り死にたくなるような事でも他人にとっては「何だそんなことで悩んでんの?」って軽く言われるのが怖い。簡単に「大丈夫だよ」とか「わかるわその気持ち」とか言われるのが怖い。あと単純にドン引きされるのも怖い。
痛みは他人には伝わらない。
だから分かち合うことなんてできない。
それでも人間は精神的にも物理的にも一人では生きていけないから友達や家族が必要なんだろう。
それは十分理解できるつもり。
でも、友達とは?となると必要なものとは考えられない。
それでも生きてる。
コミュニケーションが苦手
コミュニケーションが苦手。
というよりもそもそも人間が怖い。
自分自身もそうな様に、ましてや他人が何を考えてるかなんてわからないから。
というよりも、「きっと良くない印象を持たれてる」と感じてしまう。
幼少の頃は友達がほとんどいなかった。
学生時代は友達がいなかったわけではない。
大人になってからも一緒に趣味をやる仲間的な人もいた。
仕事関係の人でも個人的に飲みに行く関係の人もいた。
でも正直しんどかった。
人と接する時はいつもの自分ではなく、重たいスイッチを入れる必要がある。
飲みの誘いとか突然の場合はスイッチが入っている状態の時が多いので勢いで行ける。
でも「○日○時に」とか約束の場合はスイッチを入れるのに苦労する。
もう憂鬱で仕方ない。
携帯ショップや家電屋など、全くの赤の他人との会話が必要な場面になると変なスイッチの入り方をして妙にテンションが高くなる。
知人、友人との会話でもそう。変なテンションになってしまうことがある。
そして言わなくていい事や言葉のチョイスを間違えることが多々ある。
「なんであんな事言ったんやろ•••」と後悔するのは100%
その結果
上辺だけで付き合うのに疲れたから、友達との交流も自ら断ち切った。
それはそんなに難しくなかった。
LINEを2回ほど未読無視したらもうそれから連絡が来る事は無くなった。
自意識過剰なのは自覚してる。
というよりも問題は自分にしかない。
フジロックフェスティバル ‘22
スタジアムライブやライブハウスには何度か行ったことあるけど、フェスには行ったことが無い。
フジロック行ってみたいな
毎年毎年何度も思った。
いつか叶えたい夢のひとつ。
今年は配信があると聞いて、取り敢えずながら見をしている。
今まで知らなかっただけで毎年配信していたのだろうか?
画面越しでは空気感や臨場感が伝わりきらない。
来年こそは。
今年もまた思った。